「おじいちゃんが亡くなった」
彼からそう連絡が来た。
私は一度会っただけだけれど
とても悲しかった。
でもそれ以上に悲しいのは
彼はもちろん、おばあちゃんや彼のご家族。
そうわかってはいたけれど
涙が出た。
私はその連絡をもらったとき
なんて返したらいいかわからなかった。
私だったらなんて言ってほしいだろうと必死に考えた。
仕事なんて手につかなくなってしまった。
答えがわからないまま
今私が彼に伝えたいことをそのまま伝えることにした。
「泣いた分、それ以上に笑うんだよ
おじいちゃんに届くようにね」
雨と晴れ
私も大切な人を亡くしたことがある。
親戚が多い分、こういう悲しいお別れも多い。
そのたび涙を流し、時間が解決してくれることを待っていた。
涙を流すことはストレス発散の一つになるという。
もちろんこれはその通りだと思う。
泣いたらすっきりすることがあるから。
けれど涙を流し続けていると
どうだろうか。
ストレスを無くして笑顔になるための方法だというのに
それは
笑顔のない生活
に変わってしまうのではないだろうか。
どんな状況なのか、なにが原因で涙を流すかなんて人それぞれ
そのときと場合にもよる。
けれど一つ言えることは
泣いた分、それ以上に笑わなければならない
これは絶対だと私は思っている。
泣きたいときは誰だってある。
そのときは泣いたらいい。
涙を止めようとしなくてもいい。
涙は自然と止まるものだから。
だけど
涙が止まったらそのあとは
できるだけ笑顔でいること。
笑顔でいれば泣いたときの気持ちが晴れる。
雨が続いていた日々に太陽の光が差し込むようになる。
するとどうなるか。
溢れんばかりにできた水溜まりは光によってきらきら輝き
雨に当たった植物たちも雫をきれいに纏って美しく見え
ときには空に大きな虹がさすだろう。
その後は次第に
植物たちも水を蓄えてぐんぐん成長し
動物たちもめぐみの雨だと喜び
雨を糧として皆がさらに強く生きていく。
なにが言いたいかというと
人生においても地球の存続においても
全てにおいて
涙(雨)も笑顔(太陽の光)も必要なのだということ。
「どちらかだけ」
ではダメなのだ。
どちらもあってこそ
この世の中は成り立っている。
私たちは生きている。
涙より笑顔
人生においても同じことが言えると思う。
「涙だけ」
「笑顔だけ」
なんてあり得ない。
「人生山あり谷あり」
というように
笑顔の日があれば涙の日もある。
それが人生。
けれど人生においては
笑顔が多い方がすてきだと私は思う。
泣いてばかりいれば
目の前の景色が暗く見え
そして
将来が見えなくなっていく。
反対に笑顔でいれば
今までの不安や悲しみが見えなくなっていき
そして
将来が輝いて見える。
「笑う門には福来たる」
「楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しい」
というように
笑顔でいれば
福は自然と訪れ、人生は楽しくなっていく。
羅針盤
人生の羅針盤を持っているのはいつだって自分だ。
明日の自分が泣いているのか笑っているのかも
結局自分次第なんだ。
長くなったが、
私はこういうふうに考えている。
人生において涙が出ない日なんてない。
その時は思いっきり泣いたらいい。
けれどその涙が止まったあとは
泣いた分、それ以上に笑っていこう。
笑顔でいよう。
きっと未来は明るくなる。
今すぐにはできないかもしれないけど
いつか涙が止まった時の彼に届くように
「泣いた分、それ以上に笑うんだよ」
そう送った。
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